「ごめん、リコーダー返しに行くね。」
友人からメールが入った。一緒にリコーダーアンサンブルやろうね、と楽器を融通しあっていたのに、仕事が忙しくなってとてもやれなくなってしまったという。
頼まれて学童保育所に行くようになって何年か経つという友人。年々その忙しさが増しているらしい。学校の先生たちのブラックな実情がマスコミでも取りざたされ、教師の忙しさを何とかしなくては、とテコ入れが始まったようだ。
午前中で授業を終え、午後は授業の準備に充てるというところもあるとか。なるほど、そうすれば準備万端で、先生たちも気持ちよく翌日の授業ができるし、子どもたちも楽しいだろうなあ、と思う。
一方で、午後早くに下校となると、子どもたちはどこへ行くのだろう?
核家族が当たり前になっている今、パンクしそうなのは友人たちの働く「学童保育所」だ。
定員いっぱいの狭い空間に、学校という縛りから解き放たれた、異年齢の子どもたちがぎっしり・・・。担任の先生がいない、親もいない、解放感満載の子どもたちだ。どんなふうに過ごすのだろう。
多くは語らない友人の言葉の端々に、その厳しい実情が見え隠れする。
「今から昼食、夕食の支度をしてから出かけるの。」
「人手がなくてね・・・。」
そう聞いても、じゃあ、私が・・・と簡単に返事ができない職場だ。ものすごい体力と気力がいることだろう。申し訳ない。
コーラスの友人も、
「7月8月は練習に参加できないから、ごめんね。」
と、残念そう。大規模な学童保育所に勤めているのだ。
もうすぐ夏休み。受け入れ枠も広がる。酷暑の中、友人たちはどんな夏を過ごすのだろう。国の宝である子どもたち。大切に育ててくれている学校。その学校の後を補充してくれているたくさんの学童保育所。どこもみんな一生懸命だ。
「ただいまー。」
と帰れば
「お帰りー。」
とおじいちゃん、おばあちゃんたちが孫を迎えてくれた大家族。それを大多数が選択しなかった今の日本。単一世代暮らしは若い人達だけでなく、シニアにとっても気楽なのだ。
一人暮らし、二人暮らし世帯が田舎でもどんどん増えていく。田舎の道を、幼稚園バスの何倍もの数の介護サービスの車が行き交う。