ポクポクポク・・・。
今朝はちょっとゆっくりかな。いやいや、そのうちポッポッポッポッ・・・。おっ高速になってきた。
いつ頃からだったか、古民家の主の朝の日課に般若心経のお唱えが加わった。
「よし!今日は見ずに言えたぞ。」
「10回唱えた。」
「遠慮なく!もっと大きな声でもいいよ。」「そうか。じゃあ・・」
・・・と、毎日続く。すごいなあ。よく続くなあ。
でも、息子一家が帰省しているときにもルーティンワークをしそうな勢いだったので、あわてて止めた。
野菜も果物も、初物はお供えしてからいただく。
今年初めて咲いた花は、先代の写真の前に飾る。「今年も咲いたよ。ありがとう。」
子どもたちは、帰省するとまずお仏壇にお参りする。帰る前には、お線香をあげていく。
仏さまは、日常生活に当たり前にある。
お付き合いしている方々はみんなそうしているので、普通だと思っているけれど、そんなふうに生活している日本人は少なくなっているのだろうか。悲しい事件の報道が重なるとそんなふうに邪推してしまう。
自分の手の届かない何かに、報告する、お祈りする、そんな機会を一日一度でも持っていたら、自分を顧みることができるように思う。世界は自分一人のために回っているんじゃないということを確かめられるような・・・。おかげさまで今がある。
アンデスの山々に住む人たちも、祖先と共に生きていることを当たり前の日常にしているという。若い頃それを聞いたときは「そうかなあ。」と懐疑的だったけれど、年を重ねてくると、共感できるものがある。祖先に思いを寄せることは自分たちの生活のほどよいブレーキになっているのかもしれない。
余談だが、アンデス文明展が静岡にも来てくれて、田舎暮らしにアクセントがついた。マチュピチュはいろいろ遠すぎて行けそうもないから嬉しい企画だった。