8月は祈りの月だ。昔から暗くなると「今日はどこの家が最初かな?」というぐらいどこでも競うように迎え火を焚いていた。
ご先祖様が帰ってくるから、我が家がわかるように焚くのだと言われて敬虔な気持ちになったものだが、そこに子どもが加わるととたんににぎやかな花火大会の始まりだ。
子どもの歓声って暮らしのエネルギーだなあと今更に思い返す。
お盆が終わって送り火になり、送り火の終わりは夏休みの終わりだった。
今、我が家で送り火を焚くころには子どもの姿も声もなく、家路を急ぐ車が何台も通過するばかりだ。よその家の迎え火も見ることがなくなった。
昔はみんな農業主体の暮らしだったから、同じような生活スタイルで、迎え火を焚く時刻も同じだったからかもしれない。
ノスタルジーにかられて後ろ向きになってはいられない。
夕方からの12時間、この辺では、酷暑はどこへやらの快適な、黄金の時間になる。
田んぼからの風は本当に気持ちがいい。
夕食が済むと、涼風に誘われて送り火セットと椅子を持ち出して迎え火を焚く。
昔は焚き付けに杉の葉っぱを使っていたが、今は必要に駆られて山に入ることもしなくなったので、新聞紙に代わった。(実はマムシとハチが怖いからなのだけど。)
勢いよく燃える炎を見ていると、不思議と亡くなった人たちを思い出すからやはり8月はお盆の月なのだなあ、と思う。
もっとああしてやればよかった、こうしておけばよかった、と後悔ばかりが先にたつ。
先月旅立った叔父はまだ向こうについていないだろうなあ・・・。
ひとりになった叔母からのLINEが増えた・・。
うちの子どもたちにとっても面倒見の良い、いつも笑顔の叔父だった。
そうだ、大きくなっても子どもは子どもだから明日スーパーに行ったら、花火セット買って来よう。
それにしても天の川と蛍はどこに行ったんだろう。
・・・・敬虔な気持ちとは真逆のことを考えながら燃え残りに水をかけて現実に戻る。